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March 27, 2006

テレビよさようなら

テレビの行き着く先は…?

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Posted by: вк | August 01, 2015 at 02:54 PM

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Posted by: video conferencing equipment | January 21, 2015 at 12:12 PM

テレビを捨てるって・・・。
さようならって・・・。

さようならしたテレビは
何かの形で復活できる?
活字がさようならした後
復活してる?
・・・・わかんないなあ

Posted by: いち | March 31, 2006 at 01:28 AM

モノクロ写真をやっていた頃、勝手に師と仰いでいた写真家の
写真集が復刻された。師と言っても、先輩のそのまた先輩が
弟子入りしていた写真家。だから面識なんかは全くない。ただ
新宿3丁目にその写真家や荒木経惟らが開いていたCAMPと言わ
れる写真工房&ギャラリーにたまに顔を出していたくらい。

で、その写真集。タイトルは「写真よさようなら」。伝説的な
写真集となっているらしい。ブレ、ボケ、荒粒子、何でもあり
のコンテンポラリー、コンポラ写真集である。写真という概念・
制度の最大限までの拡張・解体を試みたと言われていて、
その極限とも言える写真集が「写真よさようなら」。

http://www.moriyamadaido.com/gallery/sayounara/loading_s.html

初版が出版されたのは1972年。一眼レフカメラはまだまだ高価
で、写真ブーム到来のちょっと前くらい。そんな時代、写真ブームの
気配が既にあった時代に「写真よさよなら」なわけだ。

心象写真、原風景なんて言葉とモノクロの世界が妙に相性が
よくて、流行のようにアートな写真があふれ出した。なんだか
よくわからない写真でも「雰囲気がある」の一言で評価され、
独りよがりが何故か幅を効かしていたような記憶がある。

事実、私もプリントした写真をさらに複写機にかけ、ハーフ
トーンの全くない白黒作品をつくり、悦に入っていた覚えが
ある。先輩がそれを称して「妙にエロチックだ」なんて言う
ものだからもう完全にハマってしまってた。

そんな怪しい写真の流れ、もっともこれはこのカメラマンが
カリスマとして作用し、作り上げた世界でもあるわけだが、
そんな流れに背を向けたかったのかもしれない。

「写真よさようなら」のカメラマンは当時34歳。何かを捨て
たかった。事実この写真集が出てからしばらくの間、写真機
から遠ざかっている。ま、それは今ここではどうでもいい…。

で、早速購入。久しぶりにグッと来た。ガツンと来た。

ブレ、ボケ、アレ(荒れ)のモノクロ写真を見ると昔は瞬間的にスイッチが
入った。もう錆びているかと心配していたが今でもそのスイッチは
生きていたようだ。

心象風景、原風景なんていうものはその個人の感覚、感性、感受性に
負うところが大きく、ややもすると押し付けがましくなる。この写真の
どこがいいのか、きちんと説明できない写真が多い。写真を見る側の
リテラシーにもよるが、やはり「雰囲気論」で終始してしまう。

でもそういう写真は楽しい。なぜなら万人の理解を求めない自由さ、
こちら側の顔色を伺うなんてことを一切しない不遜で、それでいて
純粋でブレのない心の風景が見え隠れするからだ。それは否定する
隙の無い、強い説得力を持って迫ってくる。だから楽しい。

その対極にあるのがテレビだ。そこでは構成、撮影、編集、それぞれの
分野で百戦錬磨の職人たちが番組作りに心血を注いでいる。特に
ドキュメンタリー、何を伝えたいのか、何を伝えるべきなのか、
制作者の人間性までも問われる、胃に穴が開くような作業の連続である。
「何を言いたいのか判らない」なんて作品はもうゴミ扱いである。
ベラボウな制作費を使って、学校放送モドキの番組ではスポンサー
様にも顔向けが出来ないっていうわけだ。

電波が公共のモノだからだか知らないが、独りよがりを極端に忌み嫌う
構図となっている、テレビは…。だから、1ヶ月も2ヶ月もかけて第1稿と
言われる荒編集が出来上がり、しかるべく立場の人に見てもらい、感想を
頂く。あーでもない、こうした方が良い…色々と手直しを強要される。

で、第2稿、第3稿とほぼ完成へと近づき、その度にお伺いを重ねる。
それもこれも分かり易い、伝えたいことを伝えるためだ…と信じていた。
そう、何故だか分からないが、「テレビなんだから」という言葉に抗えない
何かにそうさせられていた。そしていま思えば、知らないうちに自分の
伝えたかったものがどこかに消し飛んで、その「立場の人」のチンケな
世界観がのさばっていたりする。

見るも無残な切り刻まれたカットの屍が累々と編集されているだけの、
なにも伝わらない、何も伝えようとしていない番組が完成というわけだ。
色々な理屈をつけられて「テレビなんだから、ヤッパこうじゃなきゃ
ダメなんだよ」なんて言われ、もうその頃には抵抗する気力もない。

「ヤッパ」って一体何だ?「ヤッパ」を作ったのは誰だ?「ヤッパ」で
安心したいだけなのは何を隠そうテレビの世界に居ながらテレビを
やって来なかった人たちなのだ。そんなことに気がつくのに随分と
時間がかかった。

しばらく忘れていた自分探し。ブラウン管の向こう側ばかりを気にして
いると、何か小さくなっちゃう気がする。「雰囲気がいい」っていう
映像が懐かしく、そんなこと到底出来なくなってしまったテレビに
ワクワクできる時代は再び来るのだろうか。いっそのこと、映像論だとか
映像言語だとかモンタージュだとか、そんなもん取っ払って、

「どうだ!いい感じだろ?何?この雰囲気がわからない?センスないね?」

なんて独りよがりをテレビでやってみたいもんだな。そのためにはとにかく
一度、テレビを捨てなきゃだめだ。

Posted by: 岩井彰彦 | March 27, 2006 at 03:17 PM

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